こんにちは。やまうじです。
今回も雑音をたくさん出していきます。
さて、今日はくるみこと恵飛須沢胡桃さんの誕生日です。
くるみといえば、初期は陸上部に所属していた体力を活かし、シャベルも使いながら、主に《かれら》との戦闘を担当していました。
彼女の明るく元気な性格は、今でも幅広い層に愛されている印象です。
そんな身体能力が標準的なヒトよりタカい選ばれた存在であるくるみですが、
アニメ化された範囲よりも後の展開では、その強みが徐々に薄れていきます。
せっかく多くのファンを獲得することに成功した属性を、なぜ意図的に消したのか?
消すことで何を得たのか?
その辺りを考察していこうと思います。
今回も有識者が書くという考察というものを、素人の私も書いてみようと思い、書いてみます。
衰えていく現実
時系列ごとに

6巻の時点で、
・体温が低くなる
・《かれら》に感知されない
といった変化が起きています。
まだ走ることやシャベルを振り回すことはできる様子。

リソースさん…タカヒトさんを囲む会にも参加していました。
しかしランダル・コーポレーションに向かう辺りから衰えが隠しきれなくなります。


自力ではしごを上ることができなくなり、助けてもらいました。


それ以降特に11巻では、くるみが足手まといになっているという現実がついて回ります。

12巻では、くるみ本人は起きていることすらまったくありませんでした。
ファンにとっては不都合
冒頭でも述べたように、くるみは身体能力など優れたものを持っていたから人気を得ています。
そもそも『がっこうぐらし!』に限らず、物語というのは何か特別な人物に焦点を当てるものです。


優れた特技を持っている、集団において特別な立場を得ている、などですね。
そうでない人物をわざわざ見ようとは思いません。
特に推し活ビジネスというのは、標準的なヒトよりタカいものの隣に座って自分もタカヒトになれたかのように感じるものの側面が強いです。
タカヒトだった存在をヒトと同等かヒトの水準を下回るものにしてしまう行為自体、商業的にはリスクがあると言えます。
高校編が終わってもくるみのファンを続けられた人は、こうしたノイズが読み取れてないか、読み取れた上であえてスルーした人が多いのではないでしょうか。
それか「無条件に自発的に敬意を払うべき存在」と認識していた場合ですかね。そういうのを権威と言うようです。
~おたより~で語られたこと
「役に立たない」からいい
見出しで使用したコマですね。



贔屓目抜きにすると、終盤以降のくるみは役に立ちません。
事実として述べると、障害者です。


役に立てない障害者が堂々と生きてることで、
それほど役に立てないギリギリ障害者の認定にならない層にも生きてていいと伝えることができます。
人間は本能的に、役に立たない個体を間引こうとします。
自分が役に立たない側になると、攻撃されないとしても、攻撃されそうと不安に感じるわけです。
そういうときに、障害者でも生きているという光景を作ることで、たくさんの人を救い、役に立つことになります。


まとめるとこうなります。
くるみは身体能力がヒトよりタカい選ばれた存在だったところから、ヒトの水準を下回る障害者になった。
障害者になったことで、のうのうと生きて、周りを救うことができる。
それは学園生活部でゆきがやってきたことになる。
それでもファンは拒む
くるみを「障害者」と称したわけですが、まあ不快に感じるのがまともだと思います。
むしろ作品やキャラクターに思い入れがある人ほど嫌だと思うのではないでしょうか。
実際、昨今のグッズ展開も、外見に焦点が当たることが多い印象です。


ヒトよりタカい選ばれたところに需要があってお金が発生することが伺えます。
わざわざ普通のヒトと同じかそれ以下なところなんて見たくありませんからね。
くるみを優れた存在だと認識し、隣に座って自分も偉いつもりになる。
障害者になっていく展開は、見ないか「かわいそう」と涙を流して真っ当な感性を持っているとアピールする。
そうやって消費していくことが最も楽しいのかもしれません。
言うほど弱者ではない
ここまでさんざん雑音を出してきたわけですが、最後にさらに雑音を出します。
くるみが衰えていくところや精神的に追い詰められるところは、
多くの読者が「かわいそう」と感じます。
かわいそうと思ってもらえるんです。
くるみが役に立てなかったとしても、
「仕方ない」とは思ってもらえます。
一目見て「できなそう」と予想できるので。
こうなるのは、くるみの持つハンディが身体的なものだからです。
さらに美少女の外見なのもありそうですね。
助けが必要という意味では弱者ですが、
助けてあげたいという立場を得ているのも事実です。
「本当に助けが必要な人は助けたい形をしていない」
なんて話を昨今ネットではよく見かけますが、
くるみの立ち位置は「助けてあげたい形をしている障害者」と言えます。
弱者の中ではかなり恵まれた状況です。
では「誰だって生きてていい」と訴えるには役者不足なのか?
そうは思いません。
もし「本当に助けが必要な人」ばかり見てたらどうでしょう?
助けたいと思われることもないですし、むしろ差別意識が正当化されていきます。

ヒトモドキで検索ぅ!
がっこうぐらし! で検索ぅ!
失礼しました。ドヤコンガ語録が出てしまいました。
まだ助けてあげたいと思ってもらえるくるみが広告塔になることで、福祉への意識が向くようになります。
「チャリティー番組で視聴率を上げるタイプの障害者」がいることで、ほんの少しでも救われる障害者は確実に存在するわけです。
恵飛須沢胡桃さん、私が雑音でした。